年収1000万超えの大手監査法人に10年いたけど、3年で辞めればよかったと感じる理由

年収1000万超えの大手監査法人に10年いたけど、3年で辞めればよかったと感じる理由年収1000万超えの大手監査法人に10年いたけど、3年で辞めればよかったと感じる理由

年収1000万超えの大手監査法人に10年いたけど、3年で辞めればよかったと感じる理由

私は、公認会計士の資格を持っていて、大手監査法人で10年ほど働いて、その後IPOを目指す訪問看護の会社へCFO候補として転職し、2年が経った今、現在はCFOとして主に管理業務全般を任せてもらっています。

CFOをやっていると、日々変化にとんだ難題がのしかかってきます。1つ1つ解決していくのはとても大変でしんどいです。売上を上げる人ではないので、業績が伸びなければ、自分がいくらしっかりやっていても今年いっぱいでクビかな?なんて不安に思うこともあります。

だけど、監査法人という高い給料で安定した地位に10年もいてしまったことをとても後悔してます。
3年で十分だったなと。
監査法人でお世話になった人もたくさんいるので、無駄だったとは思っていませんが、人生やり直せるならやり直したい。

昨今、テクノロジーの進化がとても早く、大企業ではそのスピードについていけないことがトレンドになってきているように思います。そんな時代のスピード感が今後ますます加速することが予想される中、自ら環境を変えて、新しい環境で圧倒的なバリューを出しながら自己研鑽に励むことがこれからの時代を生き抜く最善の方法じゃないかと考えています。

私は、大分怠け者です。自分の家にいると、仕事や勉強ができず、スタバなど外へ行かないと手に付きません。
私は、大分平凡です。皆が目指すような大学には一浪しても落ちてしまい、せっかく受かった大学も、大学生活はアルバイトと麻雀がメインの生活でした。

結局、厳しい環境に身を置かないと、自分は何もしない人間なんです。さすがに大学を卒業する辺りではそのことに気づきました。
わりと私と同じような人って多いんじゃないでしょうか?

私は、公認会計士を目指すころから自分を厳しい環境に置くことで自己研鑽に励んできました。
しかし、監査法人に入社してからというもの、高い給料と安定した地位に満足してしまい、自己研鑽をおろそかにしながら、気づいたら10年が経っていました。
再度一念発起して、ベンチャーへ転職し、この10年を今とても後悔しています。

今、訪問看護の会社にいるのは、医療系のベンチャーほど厳しい環境はないだろうと思ったからです。特に専門職で構成される組織は、個人個人がスキル的にも経済的にも独立しており、そんな個人個人を組織としてまとめ、一致団結して大きな目標に皆で向かって進んでいこうというのは、とても難しい事だと思ったからです。
また、第7章に詳しく書きますが、医療業界の悪しき習慣に一石を投じて、医師、看護師、薬剤師、リハ職等々がいきいき働くことに貢献したいと強く思ったからです。

この記事では、私の経験をもとに厳しい環境を選んでいくというチャレンジを転職という側面から書いていきます。
テクニック論ではなく、正直に自分の人生を振り返りながら、自分のように後悔する人生を歩んでほしくないという思いでまとめていきます。

訪問看護の会社で仕事をしていることもあり、看護師にも同じことを伝えたいと考えています。今の病棟に慣れてきたと思っているのなら、他の病棟へ異動するチャンスがあれば異動すべきだし、外来から病棟、慢性期病棟から急性期病棟、循環器内科から心臓外科、今まで経験のない在宅医療の業界へのチャレンジと、厳しい環境を選んで欲しいと思います。

転職や環境を変えることを考えつつ、不安に思っている方は、この記事を読んで勇気を出して新しい環境、厳しい環境に飛び込んでみてください!

1 会計士を目指した理由

1-1 学生時代に起業したことがきっかけ

私は学生時代に3人で観光ビジネスの会社を立ち上げました。

熱い思いがあったわけではなく、ただ仲間内でこのまま卒業して就職して、サラリーマンとして企業の社畜となって働くってつまんなそうだよね、という話から、お金を稼げればサラリーマンにならなくて良いんじゃないかという発想で安易に設立した会社です。

ずっと3人でやっていて、大学を卒業するタイミングで閉じてしまったけど、黒字経営でバイトより稼げたし、それなりに楽しかったです。

いろんな観光地に行って、そこの責任者に営業をかけるのですが、自分達で車を運転して全国各地の観光地へ向かうことが面倒なことではなく、楽しいことでした。むしろ自分たちの商品に興味を持ってくれて、自分たちの話を聞きたいから一度来てくれと呼んでくれたことにテンションが上がっていました。

学生って社会からはある種孤立していて、自分たちの社会での位置づけが曖昧です。社会との接点は社会人である先生くらい。起業することで社会との接点ができ、求められている場所へ向かうことが、社会から必要とされていると実感し、まさにマズローの欲求階層説でいう、承認欲求が満たされた瞬間だったんだと思います。

またこの時、承認欲求が満たされるのは、厳しい環境があってこそということに気づきました。苦労して契約をとったときの高揚感がバイトや麻雀にはないものだったからです。

なぜ大学卒業とともにその会社を閉じてしまったかというと、しっかり取引先には迷惑をかけないよう仕事をしていたけど、3人ともこの仕事を人生の一部にしようというほどの本気さは無かったということ。マズローの欲求階層説でいえば、自己実現を達成するための手段ではなかったからです。

また、仲間内3人でやっていた会社を、今後大きくするのには漠然と不安がありました。だって、3人だけの時は稼げなかったら給料0円で良いと話しながらやっていたし、定時なんかなくて、もちろん出勤とかそんな概念もない。それが人を雇っていくとそれらの縛りを作っていかなければならないし、黒字経営を続けていける保証もない。

そんな思いに至ったことが、公認会計士を目指すきっかけになりました。
なぜなら、公認会計士は経営の実態を数値に直して見える化した財務諸表をチェックする役目を担う職業で、そのチェックの仕事を通じて、経営の進め方やあり方を勉強できるからです。

第2章3章で詳しく書きますが、公認会計士の試験に無事受かって、大手監査法人に入社し、私の社畜時代が幕を開けることになるのですが、公認会計士の資格を取ったことについては、今でもあの時資格を取っておいてよかったなと思う日々です。
公認会計士の資格取得のためには猛勉強が必要で、その環境はとても厳しいものがあったこと、また、会計士の仕事はいつも会社視点、経営者視点だからです。

この視点はいつも孤独な経営者の助けになるし、自分も大事ですが、自分以上に会社を従業員を大切に思うことができるし、第三者的目線で自分を見ることができるからです。
この第三者的視点で自分を見るというのは、人生を豊かにする必須条件のように思います。

1-2 初めて頭が良い人の集団に入って、自分の頭の悪さを実感

公認会計士を目指す資格の学校に行ってみると、世の中で皆が知っているエリートと呼ばれる大学の学生ばかりで(東大、京大、早稲田、慶応)、始めて学歴でエリートと言われる人たちの中に自分が入りました。

あえてエリート集団という言葉でまとめますが(少なくとも当時の私にはそう見えたんです)、それまで、有名な大学の学生って聞いても、人生の中で高校までの時間を勉強に使った人達っていうだけでしょ、って思ってました。

公認会計士の資格試験は国語、数学、物理、社会等の高校までの勉強科目とは違い、高校まではほとんどの人が触れたこのない、会計基準、税法、会社法、経営学といった科目です。

エリート集団相手でも皆スタートは一緒なのであれば、自分もやっていけるだろうと考えていました。だけど、その考えは甘かった。
模試なんかを受けていく中で、みんなめちゃくちゃ頭いいなと思うようになりました。

自分がバカなのはわかっていたので、資格の学校に通い始めた当初から1日10時間~15時間勉強しました。エリート集団の脅威を感じながら、質より量で行くしかないと思っていたからです。
それでも全然かなわなかった。赤裸々に全国の順位がでるのですが、4,000位とかでした。当時は毎年1,000人前後しか資格試験に受からない中で、4,000位というのは結構辛いものがあります。

辛いながらも人よりも粘り強さがあるのか、バカはバカなりにという言葉が当てはまるのか、3年くらい勉強を続けたら全国100位くらいにはなれて、無事合格しました。

今、訪問看護の会社で看護師や資格を持っていない人たちと仕事をしていて、当時を振り返って思うのは、頭の良し悪しはエリート集団と看護師とでそう差は無いということです。こんなこと書くとプライドの高いエリート集団の人たちには怒られそうですが、私の感想・印象としては、エリート集団の人たちは頭の使い方がとても巧みだと思います。きっと高校までの勉強を通して頭を使いまくってきたからじゃないでしょうか。この巧さは大学時代に急に勉強を始めた私は身につけることができませんでした。

うまく説明できませんが、相手が自然と理解できるように物事のプロセスを理路整然とした話すことができる人たち、という感じで、高校生までの勉強の意味ってそこにあるんじゃないかと思うようになりました。もちろん人にもよりますが、会計士を相手に話をしていると、この頭の使い方の巧さを感じることが多々あります。

人生を振り返って失敗したなと思うのは、高校卒業までほとんど勉強してこなかった自分について後悔しています。この頭の使い方という部分をおろそかにしていたことで、頭の使い方が下手くそなまま大人になってしまいました。できれば中学生くらいに戻って頭の使い方を意識しながら勉強したいなと思います。

他方、かなわないなと思うほどの厳しい環境に耐え抜いたことで、忍耐力が人一倍ついたように思います。現在、CFOとして日々難題が降り注いでくる環境でもやっていけるのはこの時の厳しい環境に耐えた日々があったからのように思います。

余談ですが、私は中学入学から、さぼり癖が人より強く、遅刻や学校をさぼるということを繰り返していました。これは高校を卒業するまで直らず、ちょっと嫌なことがあると学校には行かないというほど、弱い人間でした。出席日数が足りず、毎年3学期になると、1日学校行くと2日分行ったことにしてくれる先生に甘えまくってたほどでした。

厳しい環境に自分の身を置いて、どれだけその厳しさに耐えながら自己研鑽を励むかが、その人を変えるんだと思います。これは大人になってからでも十分身につけることができると身をもって感じています。

2 会計士の世界

2-1 会計士は超売り手市場

私が資格試験に受かった時期は、ちょうど社会的に内部統制の整備・運用ががこれから始まるぞっていう時期で、監査法人も積極的に採用活動を行っていました。大手監査法人4社だけで求人数は2,000人くらいあったんじゃないかと思います。でも、1,000人ちょいしか新たな会計士は誕生しないから、争奪戦です。

就職説明会という名の豪華ホテルでのパーティ、就職説明会が海で?と聞いて行ってみるとお酒が用意してあって、ただの東京湾クルーズ等々。たぶんリーマンショック以降はこんなこともうやってないと思いますが、、
お金が無くて1日500円で生活していた私には、かなりカルチャーショックでした。

2-2 大手監査法人入社

私の中の会計士って資格取るまでにすでにプロフェッショナルな知識を兼ね備えるレベルなので、大手監査法人の中で働く会計士も、わりと個人個人で特徴をもって動いているようなイメージでした。

入る前は、ある先輩に「良い上司に巡り合えるかどうかがカギだが、それは運だ」と言われていたのですが、いろんな専門分野の人がいて自分が目指したい分野と一致するかしないかは運だからという意味だと思ってました。
だけど、入社して驚きました。

会計士は皆、ザ・サラリーマン(いろんな会社でサラリーマンやってたわけじゃないので、実体験ではなく、私が主観で描くサラリーマン)。上司にはペコペコ、上司が飲み会だと言えば皆いやいや参加する。「仕事が終わってないのに」とか、「いいよな上司がペーペーの時代は難しい法律はなかったし、金融庁から調書類を見られることもなくて、サインするだけだったクセに」とか、「現場のこと全然わかってないよな」と愚痴ばかり。「自分が評価されてない」とか、「何言ってもダメだからあきらめた」とか、「監査データを格納するシステムめちゃくちゃ使いにくいよね、これに3億円使ったらしいよ、逆に残業増えてるし、こんなの入れるくらいだったら金くれよ!」とか、「これだからこの組織はダメなんだ」とか。
正直聞いてて、だったら辞めれば?と思ってました。自分も少なからず同じ気持ちだったので、資格が取れる3年後には辞めようと思ってました(※)。

※一般的に会計士試験というと、2次試験を指します。2次試験に合格すると、監査法人等に就職することができ、そこで実務経験を2年以上経験すると、修了試験を受けることができ、それに合格すると晴れて公認会計士と名刺に書くことができます。

これ、訪問看護の会社も全く同じです。結局、会社に所属する従業員は年齢、性別、資格に限らず、どこ行っても同じなんだと思います。従業員は日々仕事を頑張ってもなかなか評価されません。年に1回評価をされて、昇給といっても微々たるもの。時には会社の業績が悪いと昇給すらしないことだってある。マズローの欲求階層説で言うと自己実現を目指しているが、その手前の承認欲求が満たされないまま時間ばかりが過ぎていくという状況で、そうなると人間はみな不平・不満や愚痴ばかりになるということです。

私はというと、従業員だった監査法人時代は皆と同じで不平・不満や愚痴ばかり言ってました。ただ、退職する時には入社から10年が経っていました。
これは面白いもので、不平・不満ばかりなら、会社を辞めれば良いと思っていても、いくつか本人にとってメリットのようなものがあると、人は辞めることを躊躇するのです。
これは自分の場合は次の「会計士になって良かったこと」が当てはまりますが、訪問看護を営む会社に転職して従業員ではなく取締役として働いている今はとても後悔しています。もっと早く、自分を厳しい環境化へ転職させなければいけなかったと。

2-3 会計士になって良かったこと

会計士になって良かったこととして、「とにかくモテる」こと「給料が良い」ということを書き留めますが、自分の過去を振り返って失敗したなと思うのは、この2つのために、3年で十分だった監査法人に10年もいてしまったということです。

モテるとか給料面にメリットを感じ、自分の成長という側面をおろそかにしてしまったことをとても後悔しています。

今は訪問看護の会社で働いていますが、同じく高給取りの看護師にも伝えたいです。お金に引っ張られて慣れ親しんだ病院で働き続けることを私はとてもリスクが大きいことと考えています。

2-3-1 とにかくモテる

入社した監査法人を退職するまで10年かかったのは自分にとってのメリットみたいなものを感じてたからです。

それはなにかというと、とにかくモテる。
合コン14日連続とかダブルヘッダーもあるし、相手は一般的に憧れがあるような、CAさんやモデルさんなんかも、これまで合コンしたことないような相手ばかり。
ネタ切れになればどこかのパーティいってナンパすればすぐ合コンの場は立ちました。これは私にとって、学生時代では考えれられないことでした。
ナンパの成功率が100倍くらい違ったんじゃないかなと思います。

そして、どこの馬の骨かもわからない私に、今度は2人で会いましょうという連絡が来る。
学生時代にバイト先の子と合コンするとか、学園祭に出向いてナンパして合コンするとかそんなことばっかり考えて行動をしていた私にはたまらないわけです。

この時は本当に会計士になって良かったと思ってました。

2-3-2 給料が良い

入社1年目から年収800万円くらいだったと思います。5年目くらいで1,000万円超えたんじゃないかなと思います。なかなか他の仕事でこれだけ稼げるものが自分には無かったから、転職する勇気がでませんでした。

3 30歳手前で立ち止まることになる

組織に染まりながらも、組織に染まりたくないと思っていた私には、入社以降、同じように思う仲間が増えていきました。同期だけじゃなく上司や部下にも同じ思いの仲間が増えていきました。

入社5年目くらいになると、仲のよかった上司は1人また1人と日本から逃げるように海外へ出向していったり、監査法人を退職したりとそんな仲間が一転して減少していきました。
同期も1人また1人と辞めていきました。

そんな転換期がちょうど自分が30歳手前の時でした。
何かふと人生を見つめる時期かなと思うタイミングでした。
このまま監査やってても安泰だけどつまらないな、と思うようになり、何か毎日面白いと思える仕事ってないかなと考えるようになりました。
当初会計士を目指すに至った学生時代の起業経験を振り返ったり、経営実態の数値化、見える化されたもので勉強したいという思いがかなって会計士になり、経験を積んできた。今後、これをどう生かす働き方が楽しいと感じるのか、と日々考えていました。

だけど、考えてもこれがやりたい!っていうものはなかなか見つからなかったです。

そして、考えていくうちに、人生をかけてこれをやりたい!と思うものはなかなか見つからないもんだというある種曲がった結論に至り、その結果、将来何をやるにしても営業ができればお客さんを取ってこれるわけだからお金には困らないと思い、まずは営業ができるようになりたい!って思うようになりました。

学生時代に起業していた時、営業活動が面白かったという思い出のような経験もその考えを後押ししてました。

4 年収2億円の営業マンとの出会い

営業ができれば何とでもなると考えるようになってから、社内でも社外でも営業ができる人を探すようになりました。

そんなある日、年収2億円の営業マンと出会うことになります。
その人に弟子入りじゃないけど、営業の現場に連れて行ってもらい(その人は、商談の場で会計士を連れてきた、と言えることに少しだけメリットを感じていてくれてた様だった)、自分のトークにダメ出しをもらったり、不動産を買うことが趣味の人だったから、一緒に不動産を見に行ったり、たまには税務上のアドバイスなんかさせてもらったり、とても勉強になりました。

特に、1人で生きていくって、こういうことかもしれないと思わせてくれたことが何より大きかったです。
この時、久しぶりに厳しい環境に身を置くこととなり、何か大切なものを思い出したようなそんな感覚がありました。この時、監査法人入社から7年ほど経ってしまっていました。

それとシンクロするように、時代は不景気で景気の悪いニュースが多かった時期だったと思います。
世間ではリーマンショックから一流企業と呼ばれる大企業が行う早期退職という名のリストラ、年金制度は自分が定年後はまだもらえるけど子供の世代はもらえないとか、当社は終身雇用をやめましたとか、そんなニュースが目に飛び込んでくるようになりました。

他方でテクノロジーの進化はとても早くて、スマホ、IOT、AIなどなどの登場でたった1人でできることがどんどん増えていった時期だったように思います。

これら総合的に相まって、自分の中の考えがまとまっていきます。
大企業病に陥っている大きな組織よりも機動的に動ける小さな組織の方が時代に合っているのではないか、また、集団よりも個人で生きていく力がこれから大事になってくるんじゃないかという考えになっていきます。

5 外へ転職の勇気はまだ無くて、社内転職をした

ちょうど自分の中で考えがまとまってきたタイミングで、たまたま社内公募で新規クライアント獲得のための営業活動及びIPO業務という公募が目に飛び込んできまし。

この時、「これだ!」と思って数名の公募に応募することになります。外へ転職する勇気が持てない中で、社内で営業活動を勉強できるというまたとないチャンスだと思ったからです。

そして、入社時には無かった面接を無事突破して合格します。おそらく営業やりたいとか、IPO業務やりたいとか思う会計士なんて皆無に等しいレベルだと思うので、競争率はめちゃくちゃ低かったんじゃないかなと思いますが、自分が思い描いていた営業スキルアップができる現場へ異動して、営業活動を実際に行うことができる立場になりました。

だけど、結局、営業活動は1年半しかやってないし、2件しか成約取れなかったです。でも、15人くらいの営業チーム全体で5件程だったので、その内2件を取れたのは自分としてはまあまあ結果は出せたかなと思ってます。

問題は、社内で師と仰ぐ人のような存在がいなかったこと。皆自分よりいろんな面で優れている人ばかりだったけれど、当時自分が求めていた、年収何億も稼ぐような1人でも生きていける力を感じさせる人はいなかった。

これが、外への転職や退職して起業するという思いを強めていくことになります。

6 IPOとの出会い

IPO業務というのは上述した通り、会計士の中ではできればやりたくないと避ける人が多い業務です。
なぜなら、上場企業や大規模な非上場企業は会社の体制が整っていて、会計士が欲しいと思っている情報をすぐ入手できるで、仕事の見通しが立てやすいし、監査リスクも小さいからです。

他方、IPOを目指す会社はまだ会社の体制が整っていないし、優秀な人材はおらず、人材不足。
欲しい情報はなかなか出てこないし、出てきた情報は欠陥だらけで使えない。
結局情報作りの所からお手伝いすることもしょっちゅうです。
仕事の見通しは立てにくく、徹夜での作業もしょっちゅう発生します(今は改善されていると噂では聞いてます)。

だから私も食わず嫌いもあってIPO業務は嫌だったけど、公募時点で営業活動とIPO業務の2つだったから、仕方なくアサインされたIPOクライアントを何社か担当することになりました。

IPOとは「Initial Public Offering」の略で、まだ市場に上場していない企業が、知名度の向上や資金の幅広い調達を図るために証券市場に新たに上場する株のことを指す。

この厳しい環境で新たな発見がありました。
情報作りの所からお手伝いしていくうちに、監査ではなかったようなクライアントとの仲間意識みたいなものが芽生え、CXOと良く飲みに行くようになりました。
IPOを目指す会社の役員って30代が多いから年代が近いというのも仲良くなった要因だったと思います。

会計士の監査ってもともと会社全体を見渡す視点で行う業務だからCXOと同じ目線で物事を考えているし、自分にも起業の経験があったため、お互い違和感なく仲良くなれるんじゃないかと思います。

そして何より社内では感じることのない、個の力を感じた。
この、個の力は今働いている訪問看護の会社に転職してから、今までの社長からそれまで経験したことがないほど、毎日ひしひしと感じます。この記事では書きませんが、社長ってやっぱ凄いな、かなわないな、と思う日々です。

また、学生時代に起業した会社を続けることに大きな不安・リスクを感じて会社をたたんだ自分と、その大きな不安・リスクに向き合って戦っているCXOを比較して、とても輝いて見えました。

私にとっては副産物だったIPO業務から、IPOを目指すベンチャーで働いてみたいという思いが強くなっていったのはこの時からです。

7 医療系ベンチャーに転職した理由

7-1 親族から聞いた話から医療業界の悪しき習慣に未来が無いと思ったから

たまたま親族に医療関係者がいて、病院の中の話を聞く機会がありました。監査法人のようにザ・サラリーマンのような感じなのかなと思って聞いてみると、なんだか様子が違いました。
組織としては縦社会のザ・サラリーマンなんですが、倫理観が乏しい。感情を抑えることができず、エリート集団のような理路整然とした感じが無い。
聞いた話なので実態は分かりませんが、暴言に始まるパワハラ、セクハラ、マタハラ、不倫などが一般の企業・組織と比べるととても多いように思いました。

結局その親族は病院を辞め、いまも家庭に入ったまま社会復帰を躊躇しています。

監査法人もわりと縦社会が強くて、私もパワハラを受けたことは多々あります。ゴミ箱に捨てられた食べかけの弁当を食べさせられたり、「お前が出来が悪いのはお前が悪いんじゃない、お前の親が悪いんだ」とか言われ、当時は結構へこんだな。そういう時って誰も助けてくれないんですよね。学校だって、エリート集団だって、どこだっていじめみたいなものはあって、どこも一緒なんです。そんな記憶がふとよみがえった瞬間でした。

これから労働人口が減少していく日本で、また、超高齢化社会になっていくこの日本で、病院で働く労働者が働きにくいって大きな問題だなと思いました。
だけど、転職する前は病院もたいがいひどいなという感想、ただそれだけでした。

7-2 転職先の3大条件

IPOを目指すベンチャーで働いてみたいという思いが強くなってから、そんな働き先を探すようになりました。私が働き先を探すにあたって基準としていた3大条件を紹介します。

①マーケットがある程度あって、今後も拡大が見込める分野
②CEOの誠実性・謙虚さ
③ある程度ストック性の高いビジネス

まず、IPOするためには業績が上がり続けないといけないので、そのためには、マーケットがある程度あって、今後も拡大が見込める、そんな業界が良いと考えてました。紙を例にとると、ペーパレス化が進み、情報の電子データでの保管が進むにつれて、印刷会社やコピー機関連の会社はマーケットが縮小していくことが予想されます。そうなると、売上を上げるにもパイの奪い合いになるわけで、厳しい戦いが想定されます。そのため、すでにマーケットがある程度あって、今後も拡大が見込める領域を探していました。

次に、CEOの誠実性・謙虚さについて、これは監査法人時代にIPOを目指す会社のCEOと仲良くなって飲みに行くことが増えるにつれ、CEOが不誠実で強すぎると、なかなかNo.2以下の心がついていっていないというのを感じたからです。社長は確かに特別な存在なのですが、そこに胡坐をかいて、社長だけは他者よりも交際費をたくさん使ったり、鶴の一声で会社のルールを逸脱してしまうことが起こっている会社は業績がどこかで止まってしまう印象がありました。そこで、CEOの誠実性・謙虚さは大事だと考えるようになりました。

転職を考えている方がいらっしゃれば、可能であればCEOに会って、その人となりを見ることをおすすめします。

最後に、ストック性が高いビジネスというのは、一度契約を締結すれば毎月安定的に収入が見込めるようなそんなビジネス。例えばシステムを売って、その後、毎月保守業務で稼ぐビジネスなどがそれにあたります。

1つ商品を売ったら次の顧客を探し、また営業をかけて商品を売って、また次の顧客を探すというビジネスはじり貧になる可能性が高く、安定的に事業を伸ばすのが難しい分野であると考えています。

以上の3大条件は転職を考えている方、特にベンチャーへ転職を考えている方の参考になれば幸いです。

7-3 訪問看護のベンチャーへCFO候補として転職

営業活動のスキルを高め、IPO支援などしている日々のなかで、ふと一人の看護師と出会うことになります。今自分がCFOをやらせてもらっている訪問看護ステーションの社長です。

知人の紹介で会ってみると、なんでも、訪問看護という在宅医療の業界では有名なサービスを医療法人ではなく、株式会社で提供しているというのです。
とても意外でした。医療サービスでIPOを目指す会社に出会うとは思っていなかったからです。
また、話を聞いたり、自分で調べたりしていると、上述の3大条件に当てはまってることがわかってきました。

まず、高齢者ビジネスはとても分かりやすくて、超高齢化社会を迎えることが確実で、高齢者の数がマーケットの大きさを現しますので、マーケットの拡大が見込めます。

次に、当社の社長はお酒が1滴も飲めないんです。社長をやっていると、お酒の場にはしょっちゅう顔を出さないといけないのですが、皆が楽しく飲んでいる姿を見るのが楽しいというのです。そして、お酒を飲んでないから飲み会の後は会社に帰って仕事をするんです。

これを従業員に申し訳ないと思わせない人柄も特徴的でした。とても謙虚で誠実、交際費もなるべく使用せず、税務上の交際費の損金算入限度額には遠く届かないほどです。

また、訪問看護は自宅で療養する患者さんを毎週のように訪問して医療行為を行うのですが、ストック性が高く、一度訪問を開始すると、ガン末期の場合などの例外はありますが、安定してストック収入が見込めます。なにより、7割~9割を国が支払ってくれますので、貸し倒れリスクも低い。

そして、今の社長とちょくちょく会って話すようになります。
話しているうちに、親族から聞いた病院の話しと日々やっていたIPO支援業務が紐づきます。

次の章で詳しく書きますが、社長との出会いが転職を決断させ、医療業界を変える何かができないかという思いで日々仕事をしている今につながります。

8 看護師である社長との出会い:医療業界を変えたい思いが一致!

転職する前は看護師で株式会社の社長なんて聞いたことないな、どんな人なんだろ、と一度会って話してみたいという思いくらいしかありませんでした。
なぜなら訪問看護というサービスを何も知らなかったからです。

何度かお話しさせてもらい、飲みにも行きました(社長は1滴もお酒を飲めないのは上述の通りなのですが、いつも快く快諾してくれました)。そこでいろいろ話をしていて、社長の口から医療職1人1人がいきいき働く組織を作りたくて起業したという思い、病院で働いていても全然年収が上がらないから、うちの会社は稼いだら必要な投資分は残すけど、それ以外は従業員にどんどん還元したいという思いを聞き、また、実際社長の給料が低くて誰よりも遅くまで残って仕事しているという姿勢を知りました。

そして、IPOをすることで医療の組織でいきいき楽しく働ける場所があることを社会に認知させ、医療業界に一石を投じたいという思いを聞いたとき、親族から聞いた病院の話と社長の話がつながったんです。

IPOを目指しているのであれば自分のこれまでの経験をこの会社で活かすことで、医療業界に新たな風を吹かす一員になれるかもしれないと思ったし、病院もひどいもんだなと漠然と思っていた自分がその悪しき環境を変える一員になることができるかもしれないと思いました。

また、当時の社長はまだプレイングマネージャーで看護師1人1人と、リハ職1人1人と丁寧にコミュニケーションをとっていました。話を聞きすぎてしまうという面もありましたが、社長でありながら、自分よりも従業員、自分よりも患者さんという視点が染みついていました。

患者さんの話を他の看護師としている時の社長はとてもいきいきとしていたし、社長と話している看護師もいきいきしていました。この社長なら医療業界に一石を投じることができるかもしれない、そう思わせてくれました。

9 転職して厳しい環境に身を置いたことで、辛く険しい道のりが始まるが、それが財産になっていく

9-1 年収が下がるとこんなに家族は冷たくなるんだ

年収は数百万円下がりました。自分としてはやりがいがその分大きいから納得しているが、働くやりがいは自分だけのようで、家族は結構冷たい。
転職前は応援するよ!と言っていたのに…と心の中で思いながら、実際はぶりが悪くなるとそんなもんのようです。

厳しい環境に身を置くことを自分は歓迎していても、他者は歓迎ムードでないことがあるので、このあたりは、環境を変える際に注意です。

9-2 環境や立場が変わると大変だけど、自分の成長を実感できる

監査法人では従業員の立場を10年経験し、今度は訪問看護の会社で経営陣の一員としての立場になりました。

不平・不満を言っていた立場から、今度は言われる立場です。言われる立場になってみると、解決してあげたいという思いから何か施策を打ち出そうと考えますが、今度はその解決策が、不満のなかった従業員の不満になることが多々あります。これを調整していると、会社の動きが遅いと言われます。これは従業員だったときは気づかなかったことでした。

また、働く場所、一緒に働くメンバーが変わると、これがまた面白い。転職組が多い当社では、それぞれが前の会社で培った経験、価値観、暗黙のルールを持って入社してくる。自分もその一人のわけだが、個の調整に多くのコミュニケーションの時間を割く必要があります。いままで自分一人では思いもしなかった考えが飛び込んでくることもあり、一つ一つを調整しお互いに高めあえればとても力強い会社になると思います。

特に病院は一般企業に比べて病院ごとに個性が強いようで、それぞれの病院から転職してきた看護師同士で前の病院の話しをしている時は、「え、そうなの!?そういう病院もあるんだ。」とかそれぞれの過去の経験を楽しく話し合っている光景をよく見ます。

当社は株式会社で一般企業に近いから、主に病院共通の話としてある、上には意見を言えない強烈な縦社会、人間関係の問題などは比較的少ない方だし、平均年齢が35歳と若いから、病院勤務に息苦しさを感じている看護師がこの記事を読んでいたら、是非当社に来てほしいと思います。

9-3 会計士も看護師も変わらない

細かいところをついていくとスキルの違いなどから、いくらでも違いを述べることができますが、会計士も看護師も同じ人間、同じ日本人同士、十分融合できると思ったし、病院なんかは事業会社の経営を経験してきたCXOを入れて経営を行ったほうが、より質の高い医療を患者さんに提供できるのではないか、医師や看護師がワークライフバランスを保った働き方ができるのではないかと思うようになりました。

会計士は医療行為をできません。もちろん、看護師のように診療の補助もできません。だけど、それぞれにはそれぞれの役割があり、それぞれが協力し合って一つの目標に向かって進んでいくことで良い会社、良い医療が実現されるものという実感があります。

監査法人時代にはこんなことを思うことはなく、転職をして、環境を変えたことで自分の考えの幅が広がったと思います。この考えの幅が広がるにつれ、自分が人生をかけてやりたいことが見つかるのではないかと考えています。

9-4 10年分の経験よりもたった2年の経験の方が大きい

監査法人時代に感じていたのは、入社3年目の頃までは覚える事が多く、新しいことを吸収し、それを仕事の現場で実践していくという繰り返しの中で経験値を積み上げて行きましたが、入社から4年が経つ頃から、この経験値の蓄積スピードがだんだん鈍化していきました。覚えることが少なくなっていくからです。仕事に追われることは減少していきましたが、新しい発見や刺激のようなものも同時に減少していきました。

どの業界も似たような状況なのではないでしょうか。3年というのは一つの区切りのように思います。正直、自分は10年も監査法人におらず、もっと早く転職していれば良かったと後悔しています。たらればはいくら言ってもきりが無いのですが、特に今の時代、看護師も一つの病院に固執するのではなく、新たな経験をつんで考え方の幅を広げ、人生を豊かなものとするためにも、起業や転職を積極的に考えるのが良いのではないかと思います。

10 まとめ

こうして自分の人生を振り返ると、厳しい環境に身を置いたとき、自分の成長の機会に恵まれます。また、一人で生き抜く力を身につける機会に恵まれます。

会計士に限らず、今の時代と今後の時代を考えると、1つの企業、組織にこだわらず、積極的にチャレンジしていくことが良いのではないでしょうか。むしろ、1つの組織で狭い世界で深く突き詰めるよりも、起業なり転職なりで環境を変えることをおすすめします。